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1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について②
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について rev2 7

 以下は富野氏が作詞した、意味不明で有名な続編ガンダムの主題歌の詞である。
 ただ今読むと判ることは、この詞で描かれているのは、初期プロットの悩めるシャアそのものである。
 そして、「Z」という謎のキーワードも。

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  今は動けない それが運命(さだめ)だけど あきらめはしない もう目覚めたから
  燃えるときめきは 時代を写し 色あざやかに 燃えさかる炎

  Clying 今は見えなくとも Searching 道しるべは浮かぶ

  暗い街角 ひらく空から ひどく虚ろに 星がゆれても
  そこに残った 若さ取り出し Believing a sign of Z(ゼータ)

  刻(とき)の海越えて 宇宙(そら)の傷口(きず)見れば 人の過ちを 知ることもあるさ
  今を見せるだけで 悲しむのやめて 光に任せ 飛んでみるもいいさ

  肩が触れ合い 言葉なくして 刻が残した 熱い命を
  この手のひらで 明日に残そう Believing a sign of Z(ゼータ)

  Clying 今は見えなくとも Searching 人を変えてゆく

  乾く唇 濡れているなら 刻を乗り越え 熱い時代へと
  移るだろうと 信じているから Believing a sign of Z(ゼータ)
  
  beyond the hard times from now



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・公式に製作決定

 正式タイトルはアルファベット最後の文字「Z」を付けた「機動戦士Zガンダム」と決定した。
 これにはガンダムはこれが最後、究極なのだ、という意味も込められたものだった。
 また2作目の「2」を模したモノという説もある。
 サブタイトル&ストーリー「逆襲のシャア」もそれに即したもので。
 「ガンダム」という歴史作品はシャアの逆襲と再興をもって完結する、という意味であった。
 
 富野にとって戦友とも言うべき、安彦良和の協力が得られないのは残念なことだった。
 安彦には、富野のシャアへの偏執的なこだわりは理解する気にもなれなかった。
 また、シャアにこだわるのは勝手だが、そんな話に乗る気はまったく無い、というスタンス。
 アムロのア・バオア・クーからの奇跡脱出をもって「ガンダム」という物語は終わったでは無いか?
 なぜ「ガンダム」をあのまま眠らせておいてあげられないのだ?
 というのが安彦氏の考えだったからだ。 

 製作にあたって
 スポンサーからの要求は「可変モビルスーツの登場」「主役メカ交代劇」「派手な戦闘シーン」
 ストーリー重視の作品を目指していても、ロボットアニメである以上スポンサーの要求には逆らえない。
 富野氏は逆に開き直ってその要求を楽しんだという。
 
 放映前のアニメ雑誌の特集が大々的に組まれた。
 あの大ヒットアニメ「機動戦士ガンダム」の続編ということで誰もが驚き期待した。
 今でこそガンダムはシリーズ続編過多に陥って、新作!といっても、喜ぶのはファンだけで
 アニメに興味の無い一般人は気にも止め無い状況だが当時は違った。
 それだけ前作がお化け作品であったことの証拠だろう。

 でも何かが狂い始めていた。


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・製作現場

 「Z」は若手スタッフを多数起用したことでも話題になった。
 初代ガンダムで重要な位置を占めていたスタッフを結果的にほぼ排除する事になった。
 初代で神がかり的な絵を描きあげた絵師安彦良和はアニメ映像の製作には参加せず
 モノクロのキャラクタ設定画イラストのみを半ば事務的に提出するのみに留まった。
 モビルスーツデザインでロボットアニメ界の頂点に立った大河原邦男も
 「Z」ではイメージデザインや意見を出すアドバイザー的な立場にとどまり第一線には立っていない。
  これをアニメ業界の若手育成のための製作会社サンライズの深い考えゆえの決断なのか、
 富野監督のネガティヴな暴走に、初代スタッフ誰一人付き合う人間が居ない結果だったのかは微妙なところだが
 後年の富野監督の言葉を読む限り、後者だった可能性が高かったのはこれ以上ノーコメントである。

 ただ、永野護、北爪宏幸、藤田誠、出渕裕など後にアニメ業界に名を馳せるビッグネームを育てあげた功績も忘れてはならない。
 モビルスーツデザインに関しては、若きデザイナー達を競争させる事によって斬新なデザインのMSの誕生を狙った。
 一番最初に巷に発表されたのは永野氏による、クワトロことシャアが乗る「リックディアス」。
 モビルスーツたちのデザインの統一感が感じられないのはこの競作システムの弊害でもあったが
 百貨絢爛ともいえるさまざまなデザインのMSたちが画面を舞い踊ったのは玩具会社にとってはありがたかったことであろう。
 
 後のインタビューを読むと富野監督と若手スタッフ達に交流は一切無かったそうである。
 その結果であろう、映像を見るだけでは意図のわからない演出の如何に多いことか。
 アニメ雑誌などのストーリーフォロー記事を読むことでやっと意味の理解できるエピソードのなんと多いことか。

 クワトロが「シャア」として目覚めるという終盤のオチを知らない限りは見てて???の映像の嵐である。
 すべては富野監督の鬱暴走と若手スタッフの連携不足が起こした結果である。
 ただ、ストーリーを進行する上でのスタッフ達への指示や構想のメモが莫大で毎回ノート何枚にも及んだと言う。


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・初期構想と放映されたアニメZのズレ

 「Z」の物語が実際に放映されたものと、上記にある初期プロットでは終盤がまるで違うのはご存知の通りである。
 初期プロットでは若きニュータイプカミーユの活躍と才能にニュータイプ新時代の到来を予感したシャアが
 「Z」の舞台を降りるところでガンダムと言う物語は終わる。まるでチャップリンの「ライムライト」であるが
 それが富野監督が予定していた「Z」、そして「ガンダム」という物語のラストである。

 ところが実際に放映されたテレビアニメの「Z」では、シャアの目的は結論も出ずその生死もウヤムヤで終わる。
 そして主人公カミーユを含め登場キャラクタたちはぼぼ全滅という悲劇的な結末を迎える。、
 中盤から登場の敵組織アクシズ(ネオジオン)の存在も宙に浮いたままという中途半端さである。
 これはどういったことなのか?その謎を解く鍵は、「Z」最終回直前に発表された更なる続編「ZZ」にある。

 「Z」が最終回に向かう数ヶ月前、アニメ誌に更なる続編「ZZ」の製作決定が発表される。
 これはどういうことなのか?「ガンダム」の物語は「Z」で完結する予定ではなかったのか?
 マニアの間では色々と疑問の声が上がる。しかもアニメ雑誌に書いてある情報を読むと
 『Zガンダムの人気に応え、ガンダムZZとして2クールの延長決定!』とある。
 冷静に考えれば、人気に応えた結果ならば、わざわざ番組タイトルを変える必要も無い。
 新機軸を盛り込んで失敗する続編作品が如何に多いことか。
 一番無難なのはタイトルそのままで話を引き伸ばせばよいのである。
 そうドラゴンボールZである。引き伸ばすなら前回のあらすじ戦闘シーンで前半15分を使えばイイのだ。
 わざわざ「GT」にリニューアルしてまで失敗する危険を犯す必要も無いのだ。
 しかもその延長期間は2クール(6ヶ月間)という中途半端さ。

 気づく方はいただろうが、「Z」はぶっちゃけたところ、打ち切り作品なのである。


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・放映期間の読みと視聴率

 「Z」を打ち切りというのはいささか乱暴な書き方であり、それを意外に思う方も居るかもしれないが、
 中盤までのストーリーの展開ののんびりした状況を見ると、富野監督の狙いが見えてくる。
 当時、アニメの放映期間は1年間が普通である。「Z」もその常識を踏まえて見ていると判るのだが
 物語の終結までに放映期間が一年間では合わないのである。

 そのことを判りやすく書くと
 中盤にチョイ役で済ますと明言してたはずのアムロたち初代キャラクタの扱いの変化。
 チョイ役どころかカミーユの指南役として大活躍した結果、地球編は約10話分を使用することなり
 「Z」物語中盤の重要なストーリーとなった。
  また、終盤で判りやすいのはアクシズの登場時期である。
 登場時期は中盤の26話ながら目だって活躍しだすのは大分後になってから。
 「シャアを反連邦の首領として目覚めさせる」という物語全体での彼らの役割を考えると遅すぎるのである。

 そして前述にもある更なる続編「ZZ」の、たった半年という中途半端な放映期間。
 富野監督はZの放映期間に何かしらの意向があったのは確実である。
 そしてその考えを阻んだスポンサーの意向があったのもまた確実である。

 後のガンダム本などを読む限りZ放映当時、スポンサー側にしてみれば
 プラモ製品の売上状況は決して悪いものでは無く、前作のエルガイムやダンバインよりも良かったそうである。
 腐ってもガンダム(失礼)と言ったところである。
 問題だったのは前作人気に伴わない視聴率。子供たちが「Z」を見てくれないという状況である。
 初代ガンダムのあの熱狂的ブームを巻き起こせないZの状況を何とかしたいと考えた結果
 スポンサーは「Z」の難解なストーリーへのテコ入れを思い立った。
 「とにかくあの暗くて判りづらいストーリーを辞めろ。明るく判りやすく作り直せ。」
 富野監督の作品への思い入れなど関係なし、知ったことでは無い。

 富野監督の中で何かが壊れた。


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・皆殺しの最終回と「明るいガンダム」

 結果的なことを言えば「Zガンダム」は半年放映が延長され「ガンダムZZ」となった。
 これを「延長」と言うかどうかは最終的にはなんとも言えない。
 誰もはっきりと言明したことは無いし、富野監督にそんな恐ろしいことは聞けないだろう。

 ともかく
 「Z」の最終回は、シャアの視点で見た場合、何も結論も出ずにその他キャラクタ皆殺しという残酷な終わり方で終わった。
 アニメ雑誌のインタビューで富野監督はまるで躁病のように喜々として「ZZ」の製作に取り掛かったとされ
 スタッフに出されたストーリー構想メモは一言になった。
 「ガンダムを明るくする」と宣言して製作の始まった第一話は放映が間に合わず、総集編でお茶を濁した。

 富野監督が「ZZ」で本当は何を語りたかったかは判らない。
 それを語った文献がほとんど無いのだ。正直誰も怖くて聴けないのだ。
 富野監督は自身の過去作品を決して良くは語らない。
 ミュージシャンが過去のアルバムを恥ずかしがったり、小説家が過去の作品を酷くて読めないなどと語ることは良くあり
 クリエイターというのはそもそもそういうものではあるのだが、富野監督はその傾向が異常である。
 過去の作品は基本的に全否定であった。エキセントリック大将であった。

 「あった」と書くのは現在の富野監督の思考がまた変わったことを示す。
 「ターンエーガンダム」という作品が、富野監督のそれまでのネガティヴな感情をかなり変えたというのは
 マニアの間では有名であり、その後に製作した「キングゲイナー」が富野の新たなる快作であるというのも。
 過去をすべて飲み込んでそれを肯定する術を富野監督は得たのだ。 

 今回「Zガンダム」が総集編として復活するがその経緯を踏まえるとどういった作品になるかを想像するのは楽しいことである。
 当初から「新作を製作するためのステップとしてZ総集編を作る。」と言ってはいるものの吹っ切れた富野が作る「Z」

 期待せずにはいられないだろう。 完
by scixx | 2004-05-06 22:50 | 【ガンダム】
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